今日のタイトルが意味することは、殆どの方々は察しがつくのではないか。
そう、言語と文化は裏腹の関係にあって、切り離せないものだということ。
次の英文を日本語に訳してみよう。
1.Don’t worry! I am the best eye doctor in the world.
2.My daughter is as beautiful as a flower.
3.ABC company is so lucky to have my son.
4.I love you, mother.
(日本語訳)
1.心配無用。私は世界一の優秀な眼科医ですから。
2.私の娘は花のように美しい。
3.ABC会社はうちの息子を採用できて本当にラッキーだわ。
4.愛してるよ、お母さん。
(解説)
日本語ではありえない表現ばかりだが、いずれも、実際にあった話だ。
1.は、私がカルフォルニアで眼科に行ったとき、手術と言われて私がおじけづいたときに、先生が言った言葉。
2.は、私が婚約中に、義理の父母とフィアンセと私の4人で外出したときに、義理の母が言った言葉。
3.は、あるキリスト教会で、多くの人の前で自分の息子を自慢した母親の言葉。
4.は、電話で息子と母親が話し終わって、電話を切る前の言葉。ごく日常的な表現だ。
西洋では個人主義なので、親子といえども、子供のことを人前でよく
いうのが常識だ。
ところが日本では帰属主義なので、自分の子供のことは、
相手よりも低くして、謙遜するのが常識。
例えば、日本ではこんな表現が頻繁に使われる:
「二人はまだまだ未熟ではございますが、今後ともみなさまのご支援を
賜りますよう、よろしくお願いいたします。」
日本語では、このような表現は子供を侮辱していることにはならない。
実際、この台詞は私が神戸でアメリカ人女性と結婚式を挙げた際、
式後のパーティーでうちの親が言った実際の言葉だ。
これを英語に訳しては大変なことになる。
実際その日、通訳の女性はその部分は訳さなかった。
年功序列をあまり気にしないアメリカ社会では、こんなことも経験した。
私がアメリカの百貨店で商品管理マネージャーをやっていたときだ。
私の部長は28歳の独身女性だった。
名前は Susan。 ニックネームは Sue という。
日本では「田中部長」とか「部長」と呼びかけるが、
アメリカではみんな Sue と呼びかけていた。
田中部長の名前が「田中健二」だとすれば、
皆が「健ちゃん」と呼んでいるに等しい。
部長の Sue の前で、足を組んで座ることも多かった。
こんな文化的違いがあるからだろうか、
人に苦情を言うときは、英語のほうが言いやすい。
日本語だと遠慮してしまい、婉曲的な表現になってしまう。
2011年3月の東日本大震災では、こんな状況も目にした。
海外のメディアが、家を失った人々にインタビューをしていた時、
CNNのレポーターはこう言っていた。
「あなたはすべてを失った。
でも、あなたは笑顔でインタビューに答えている。
何故そんなことができるのですか?!」 と。
アメリカ人なら、ハグして大泣きしている状況だ。
以上の説明でおわかりいただけたと思うが、
文化の違いは、言語表現に多大な影響を与える。
A man who speaks two languages has two minds.
(2か国語を話す人は2つの心を持っている)
という諺もあるくらいだ。
ただ、私はこのことはあまり気にしなくていいと思う。
日本人は、日本人の心で英語を話したらいいと思うからだ。
アメリカ人に比べると日本人はシャイな人が多いので、
シャイな表現を使えばいい。
自然体でいることが一番いいと思う。
私の母親は、昔ながらの日本人気質を持った女性だが、
アメリカ人には、奥深い素晴らしい気質として受け入れられていた。
文化の違いは言葉の表現の違いを生むということ。
それを自然の成り行きとして、
全く異なる視点・表現を受け入れ、馴染んでいけばいいのだと思う。