毎回ノウハウばかりだと息が詰まるので、
今日は私の個人的体験をお話ししましょう。
通訳をやってきて、最も辛かったこと、最も嬉しかったことについてです。
まずは最も辛かったことから。
私はアメリカ人の家族と別居し、日本に住んでいます。
アメリカにいる娘が、初めてひとりで会いに来てくれると知った時には、
嬉しさと不安でいっぱいでした。
14歳の娘が初めての独り旅をするのは、とても不安でした。
まずソルトレークからポートランドまで行って、ひとりで乗り換えができるのか・・・
でもいったん飛行機に乗ってしまえば、私が成田空港まで迎えに行けば問題ないはずです。
楽しみにしていたところ、直前に私の得意客から電話がありました。
「取引先でトラブルが発生したので、すぐにアメリカのアトランタまで一緒にいってくれませんか?」
と嘆願するように言われました。娘が来日する2日前でした。
勇気を出して断ろうかと思いましたが、
その商談がその企業にとって、いかに大切なものかはよく知っていました。
これまでの経緯を知っているのは私しかいないので、断ることは出来なかったのです。
結局、母親に頼んで、娘を迎えに大阪から成田空港まで行ってもらいました。
その後は二人で新幹線に乗り、大阪へ連れていってもらうようにと。
私の方は、幸いにもアトランタ滞在は1日で済みました。
アトランタに着くやいなやホテルには行かず、そのままクレームしている企業へ直行。
商談が円滑におさまると顧客は、
「本当に急ですみませんでしたね」 と顔をゆがめるように言われました。
その日はホテルに1泊し、大阪に電話して娘に謝りました。
翌朝のフライトで、日本へ飛び立ちました。
結局、事務所の中と、ホテルの中以外は何も見ないで帰ってきた感じです。
でも日本に帰ってからは、4日間は娘と一緒にいられたので
結果的にはオーライといったところでしょうか。
さて、次は最も嬉しかった体験です。
オハイオ州、メリーズビル市に本田技研工業の工場があります。
そこで私は、1年契約で通訳をしていました。
11ヶ月くらい経過して、
本田技研のエンジニアの方々と友達関係がしっかりできあがったころ、
「高松さん、延長はできませんか? できればずっとここにいてよ・・・」
と言われました。
「すみませんね。申し訳ないです」 と丁重にお断りしました。
私自身も、人情的には皆さんと別れたくはなかったのですが、
いつまでもそこにいるわけにもいきません。日本にも顧客がいるわけですから。
そこで私のことを忘れないでもらおうと、あることをしました。
日本人エンジニアのために、
英語と日本語対照の「よく使う便利な表現集」を作成したのです。
作業服のポケットに入るくらいの大きさと量にしました。
例えば、
piston engine レシプロエンジン
four cylinder engine 4気筒エンジン
VQD 車両品質管理部
weld spot ロボット溶接
などといったよく使う単語から始まり、
40マイルの衝突に耐えうる車を開発している
We’re developing a car that is crashuworthy at 40 miles per hour.
などといった文章などを記載したブックレットを作成し、
お別れのときに、コピーを皆さんに手渡しました。
6ヶ月後、本田技研さんから1ヶ月間限定の翻訳の依頼を受け
再度オハイオにいったとき、嬉しい驚きがありました。
私が作ったその本が、きれいに会社の経費で製本されていて、
正式に全社員に配布されていたのです。
どの業界でも同じと思いますが、
お客さまに喜んで頂けるのが最大の報酬かもしれないですね。